20256/13FRI
本日開館
天満神社に伝来する、7歳の菅沼定昭を描いた寿像である。紙本著色。亀岡市内に残る丹波亀山藩主の画像としては、本画像が唯一のものとされる。菅沼氏が丹波亀山藩主として在任したのは寛永11年(1634)から正保4年(1647)の間である。定昭は寛永20年(1643)から藩主を務めたが、正保4年に若くして病死。これにより、菅沼氏は跡継ぎがなく改易となる。
天満神社に伝来する、7歳の菅沼定昭を描いた寿像である。紙本著色。亀岡市内に残る丹波亀山藩主の画像としては、本画像が唯一のものとされる。菅沼氏が丹波亀山藩主として在任したのは寛永11年(1634)から正保4年(1647)の間である。定昭は寛永20年(1643)から藩主を務めたが、正保4年に若くして病死。これにより、菅沼氏は跡継ぎがなく改易となる。