20255/2FRI
本日開館
頭から体幹部を一材から彫出し、背面より内刳を施したのち背板を当てている一木造の十一面観音立像である。右手を垂下させ、左手は屈臂して蓮茎を執り、腰を左に捻り、左足に重心を落とし、右足を遊足にして立つ。天衣は丹地に藤の文様、条帛は赤系の地色、裳の表は朱地に白の輪郭の宝相華丸文、裏は丹地とし、裳の縁には截金線を置くなど、造像当初の彩色が残る大変貴重な例である。天冠台は列弁とし、紐と共に漆箔を施し、臂釧も漆箔としている。太づくりのプロポーション、四角い輪郭の面相、狭い額、三日月型に伏せた眼、突き出したような口、太く丸身を帯びた衣文と鋭く鎬だった小さい衣文とを交互に配する翻波式衣文の着衣表現からは、平安時代後期の特徴をよく表している。
頭から体幹部を一材から彫出し、背面より内刳を施したのち背板を当てている一木造の十一面観音立像である。右手を垂下させ、左手は屈臂して蓮茎を執り、腰を左に捻り、左足に重心を落とし、右足を遊足にして立つ。天衣は丹地に藤の文様、条帛は赤系の地色、裳の表は朱地に白の輪郭の宝相華丸文、裏は丹地とし、裳の縁には截金線を置くなど、造像当初の彩色が残る大変貴重な例である。天冠台は列弁とし、紐と共に漆箔を施し、臂釧も漆箔としている。太づくりのプロポーション、四角い輪郭の面相、狭い額、三日月型に伏せた眼、突き出したような口、太く丸身を帯びた衣文と鋭く鎬だった小さい衣文とを交互に配する翻波式衣文の着衣表現からは、平安時代後期の特徴をよく表している。