亀岡市宮前町にある金輪寺を再興するために、寄進が行われたことを示す奉加帳。天文6年(1537)正月10日に、細川晴元と細川晴賢の主導によって、金輪寺損壊に伴う修理のための寄進が集められた。寄進者は、波多野秀忠や秀親、内藤永貞ら丹波国の守護代層、産田・並河・六嶋など史料上で丹波国内の郡代として確認できる領主層など、丹波国内の有力者が署判している。ただし、本史料には錯簡や内容の欠損が認められ、もともとの状態がどのようなものであったかは不明である。
亀岡市宮前町にある金輪寺を再興するために、寄進が行われたことを示す奉加帳。天文6年(1537)正月10日に、細川晴元と細川晴賢の主導によって、金輪寺損壊に伴う修理のための寄進が集められた。寄進者は、波多野秀忠や秀親、内藤永貞ら丹波国の守護代層、産田・並河・六嶋など史料上で丹波国内の郡代として確認できる領主層など、丹波国内の有力者が署判している。ただし、本史料には錯簡や内容の欠損が認められ、もともとの状態がどのようなものであったかは不明である。