文禄3年(1594)、豊臣秀俊は小早川隆景の養子となり、翌年丹波国を離れ、亀山城には前田玄以が配された。本状は、前田玄以の長男である秀以が鍬山神社に御供・祈祷料を寄進している。玄以が主に京都で活動していたため、父の名代としてこのような文書を発給していた。
文禄3年(1594)、豊臣秀俊は小早川隆景の養子となり、翌年丹波国を離れ、亀山城には前田玄以が配された。本状は、前田玄以の長男である秀以が鍬山神社に御供・祈祷料を寄進している。玄以が主に京都で活動していたため、父の名代としてこのような文書を発給していた。