江戸時代の亀山城下町を描いた絵図。本丸に五層の天守を描くとともに、侍屋敷、町人地、足軽屋敷などの町割りが色分けされ、寺社に関する記載もある。 作成年は記されていないが、描かれている寺社をみると、聖隣寺の位置が、貞享3年(1686)の大火以降の現在地にあり、寛延2年に篠山(兵庫県丹波篠山市)から移ってくる光忠寺が描かれていないことから、貞享3年(1686)から寛延2年(1749)の間の景観と推定される。
江戸時代の亀山城下町を描いた絵図。本丸に五層の天守を描くとともに、侍屋敷、町人地、足軽屋敷などの町割りが色分けされ、寺社に関する記載もある。 作成年は記されていないが、描かれている寺社をみると、聖隣寺の位置が、貞享3年(1686)の大火以降の現在地にあり、寛延2年に篠山(兵庫県丹波篠山市)から移ってくる光忠寺が描かれていないことから、貞享3年(1686)から寛延2年(1749)の間の景観と推定される。