20255/2FRI
本日開館
江戸時代から昭和にかけて、保津町でおこなわれてきた行者講関係資料23点。宝暦2年(17522)の記録もあり、この頃には講としての活動をおこなっていたと思われ、また、嘉永7年(1854)付けで、聖護院門跡附属の講社として大瀧組と名乗ることが許可されている。 講としては、毎月当番宅で、役行者の本堂、掛軸、樒、灯明をまつり、般若心経を唱えた。また、毎年、9月7日には、修験道の地として知られる大峰山(奈良県)へ、みんなでお詣りした。
江戸時代から昭和にかけて、保津町でおこなわれてきた行者講関係資料23点。宝暦2年(17522)の記録もあり、この頃には講としての活動をおこなっていたと思われ、また、嘉永7年(1854)付けで、聖護院門跡附属の講社として大瀧組と名乗ることが許可されている。 講としては、毎月当番宅で、役行者の本堂、掛軸、樒、灯明をまつり、般若心経を唱えた。また、毎年、9月7日には、修験道の地として知られる大峰山(奈良県)へ、みんなでお詣りした。